はじめまして。あんにむです。
現在、放課後学童クラブの支援員をしています。
といっても、福祉業界に足を踏み入れたのは約1年前の超初心者です。前職は一般企業の事務職でした。
福祉系通信制大学を卒業したのも昨年で、なんなら気持ちは新卒社会人と一緒なのではないかというほど、日々七転八倒しています。
ですが、長らく福祉業界で働くことを夢見ていた私にとっては前職と比較すると、やりがいは雲泥の差です。
このブログは、支援する側もされる側も、互いに幸せを諦めないで生きる方法を私自身が模索し、みなさんと共有・情報発信していきたいという思いで運用しています。
あんにむ(サイト運営者)について
名前 あんにむ
年齢 30代
出身地 岩手
現職 放課後学童クラブ 放課後児童支援員
資格 社会福祉士、FP3級
好きなもの ゲーム/アニメ鑑賞/読書/勉強/お酒
あんにむの略歴
過去から現在までの経緯をざっくりご紹介します。
「気づいてしまった」小学校時代
当時は8人という家族構成のもと、3人きょうだいの真ん中でぬくぬくと育ってきました。
児童に関わる福祉職として現在従事している理由の原体験は、小学校4年生頃に起こりました。
ある日、「決まった時間に家を出て、学校に行く」という当たり前のことが恐ろしく感じられたのです。同じ作業を繰り返す同級生や他のきょうだいがロボットのように見え、かと言ってこんな変なことを親にも言えるわけがない。そうやって約2年間、先が見えないトンネルを一人で歩いている孤独感を感じていました。
今なら、私を学校にいかせようと躍起になっていた両親や祖母の気持ちがわかります。ですが、当時の私が求めていたのは、「寄り添って話をただ黙って聞いていてくれる人」だった。
現在、私自身が目指しているのは「あの頃の自分が求めていた、寄り添って話をただ黙って聞いていてくれる人」です。
「誤解の」中学〜大学時代
その後、新たな友人や恩師、吹奏楽との出会いによって中学校・高校は再び学校へ。
通学が再開できたことで、「私は変われたんだ」と本気で思っていました。ですが今考えると、あの暗いトンネルの中で私は分裂し、片方だけが世の常識に流されていただけなのでしょうね。
大学は心理学を専攻し、地元を離れて通い始めますが、サークル活動に熱中して単位を落としまくり、自主的に中退しました。おのぼりさんが過ぎる。
「忘れ物に気がついた」社会人時代
とにかくいろんな職種を経験しました。
飲食業、子どもアパレル業、ホテル接客業、中古販売業などなど。直近までは一般起業の総務事務をしていました。それぞれが長続きしなかったのは、好奇心の赴くままに職を探していたせいかと思われます。
「この業界どうなってるの?」→「こんな感じね。じゃあ次」
みたいな。当然、将来設計や出世欲は皆無です。
そうやってふらふら働いていた中で、「通信制大学に入学した」知り合いの話を聞き、これまた好奇心がうずいてしまいます。もし、自分が行ったら何やりたいかな、と考えているうちに資料を請求し、手続きをして入学してしまいました。通学の決定打は、大学中退はしたものの専攻していた心理学は好きだったためです。
ということで2018年10月、東北福祉大学の通信教育部で心理学を再度学び始めました。
「とまり木をみつけた」社会人大学生時代
中退した大学から一握りの単位を引き継ぎ、3年次編入学を果たした私は学ぶことに熱中していきました。といっても学びのペースを確立するまでが本当に辛く、諦めかけたこともありました。
それでも、なんとかギリギリ目標の卒業にたどり着き、達成感を感じるまもなく同大学の社会福祉学部へ再入学をしました。理由は、選択科目でなんとなく受けた社会福祉必修科目に運命を感じたからです。そこからいろいろ調べていくうちに社会福祉士の業務や活躍場所を知り、純粋に「なりたい」と思ったのです。
「私が昔求めていた『寄り添って話をただ黙って聞いていてくれる人』はまさに、社会福祉士が一番近いではないか!」
※近そう、というだけで確信はない
そんなわけで、国家試験受験資格を得るべく学びを続けました。
現在、そしてブログのきっかけ
そして、高齢者施設で介護職を経験した後、社会福祉士を獲得し現在の放課後児童クラブへ転職しました。
憧れの業界に足を踏み入れた私を待っていたのは、身体や心を壊しながらも利用者さんに尽くそうとする職員の姿でした。この自己犠牲的な日本の福祉のあり方は、私自身非常に違和感がありますし、他業種も経験している身としては「異常」であると言わざるを得ません。
新参である自分自身の思考回路が「これが福祉の当たり前だから」と染まり切る前に、自分で考え、情報を集めて支援職を支えたいという思いが、このブログの原動力です。